Je m’occupe de tout en bloc.
みんなまとめて、面倒みよう。


内田樹のブログに掲げられたフレーズ。これに惹かれて、彼此5年くらいブログに訪れています。

わたしの文章の書き方を紐解くと、まず景色?絵?空間?があって、感情を発見して、言葉をあてはめて、文章を紡ぐ…という手順をふんでいます。だから、書いている内容は”過去のこと”なのだけれど、今書いているわたしは、その過去の中に入り込んでてるから、”過去のこと”であり同時に”今この瞬間のこと “でもあるような気が。時空超えしているからすごく疲れるし、時空超えしないとわたしの言葉にならないし、体力的にたくさん書けなません。ものを書くのは好きだけれど得意感がまったくないのは、生産能力の低さを知っているからなのかもしれません。

景色しか浮かばないときは、逃げてしまいそうで腐ってしまいそうで、不安になってはやく名前をつけたいと躍起になります。けどね、そのぼんやりとした景色のまま、心のうちに溜め込んでおいて、言葉をじっと待つのもまたよき哉。「所要の行き先と合致するバスを、町角で待っている」ように。


ふと、つい先日の友だちとの会話を思い出しました。高田馬場にある高校で天文部だったというその人は、新宿でも星はたくさん見える、訓練すれば見える、と言っていました。見えないけれどそこにあると知っていれば、だんだんと見えてくる、と。

名前もないし、見えないし、けれどそこにあることを知っている。もうすこししたら、名前もうかぶし、見えることも知っている。そういう”前触れ”を豊かにもっていたいと思います。

【街場の文体論/内田樹】