よいお天気だった文化の日。奥多摩湖から、三頭山を越えて都民の森へ歩いてきました。

2017年11月3日
三頭山(1,531m)
奥多摩駅からバス。峰谷橋バス停で下車。
奥多摩湖〜イヨ山〜ヌカザス山〜三頭山〜都民の森
都民の森からバス。武蔵五日市駅へ。

この時期の奥多摩というと、やはり紅葉が楽しみで、それはそれは美しかったのですが、それだけではなく・・・降りつもってゆく時間や、混じり合う光や、草木やわらかな吐息につつまれる静寂や・・・そこかしこから美しさがあふれ出ていて、その中に自分が身を置けて、息を吸って吐いて、生きていることにただただ心が震えました。

一昨年、『Wild(原題)』という映画に出会ってから、意識していることがあります。

朝日と夕日は、見ようと思えばいつでも見られる。
美しさの中に身を置きなさい。

主人公シェリルの母・ボビーの言葉です。美しさってなんだろう。どこにあるんだろう。どうやって見つけるんだろう。「美」というありふれた価値観を、見つめ直すきっかけをくれました。

都会に美しさがない、とは思いません。けれど、わたしにとっての山のぼりは、そこにしかない美しさを見つけに行く行為、そしてその中に身を置くための行為なのです。

1人で山にいると独り言が増えます。誰も聞いてないからと、「がんばろう」「きれいだな」「おなかすいた」とか、いろいろと。今回の山行では、ふと「しあわせだな」と、大きな声で話していて、自分にびっくりしました。

大切なひとのために心を込める時間は、それはほんとうにしあわせ。けれど、ただ自己完結でしあわせを描くとしたら、こうゆうこと。美しさの中に身をおいて、その中にただの生命として溶けること。

凡庸だけれど、それがわたしのしあわせです。