ほそく透き通った糸がからまってしまった。何故はわからない。気づいたら、掌の中でぐちゃぐちゃになっていた。丁寧に、間違えないように、解いてゆく。時間をかけてゆっくりと、じっくり。あと少し。けれど、すんでのところで糸は切れてしまう。

これは、そんな物語。

第二次世界大戦中のドイツとフランスが舞台。特にサン・マロ。「善人でいるのは簡単ではなかった」時代の、激戦地。何も知らなかったわたしが、かつて訪れたことのある彼の地。

エティエンヌ大叔父が閉じ込められたナシオナル要塞
サン・マロには2007年に訪れた

目の見えない少女。白髪の少年。父。妹。先生。炭鉱。ラジオ。戦争。海底二万里。光。おばさん。大叔父。記憶を失った友達。身体が大きすぎた友達。模型。無線。パン。鍵。オーデュボンの鳥の本。貝。桃。暗闇。そして、月の光。

文字を通して浮かび上がる人と物が、どこまでも重なり合い、奥行きを増してゆく。数ページを繰る毎に、その向こうに広がるであろう暗闇の気配を感じ、目を閉じて、肺にせいいっぱいの酸素を送り込んだ。暗闇という、大きく奇妙な生きものの息づかいの気配。

それでも、すばらしい物語はわたしたちに背骨を与えてくれる。恐れず、文字を辿り、考えつづけ、歩きつづけよと、前を向いてすくっと立つための背骨を。

「それは本当に小さいが、本当に美しいのかもしれない。相当な値打ちがあるかもしれない。もっとも強い人だけが、そんな気持ちに背を向けることができるのだよ」と、ジェファール博士はささやく。その通りだ。けれど、この物語は強い人の物語ではない。この儚い世界の尊さを信じることができた人たちの、色鮮やかな知覚の軌跡なのだ。

【すべての見えない光/アンソニー・ドーア/藤井光 訳】