ハオルシアから花芽が。日毎すくすくのアンテナをのばしてゆく様子は、宇宙からのメッセージを受信しようと精一杯背伸びしているようです。

雨が降る毎に暖かくなるにつれて、ぐるり舎の庭の木々も芽吹きはじめました。

山椒

紅葉

小手鞠

「春になると自然はみどりに変わる、と言う。しかし、かならずしもそうではない。とびいろがかった芽や、バラ色の芽で、自然は赤くなるからだ。」と書いたのは、先日もblogで取り上げたカレル・チャペック。『園芸家の1年』の中の、3月の描写に出てきます。

このフレーズを知ってから、芽吹きの季節にめぐりあうたびに、その緑の中にひそむ様々な赤に敏感になりました。逆に言うと、ずっと前からそこにあったのに、フレーズを知る前は見えていなかったのです。

世界の解像度を上げる−−−物語や言葉には、そんな力があります。人によって、同じものを見ていても違うものを感じるのは、そもそも違う解像度でものを見ているからではないでしょうか。

人はどこまでいってもひとりで、感覚を全くその通りに他者と共有することは難しいと思います。喜びも悲しみも怒りも、その人だけのもの。ですが、解像度をあげるツールはシェアすることができて、そうすると近しいものの見方ができるように。そのツールこそが、「知識」というものではないかと思うのです。

私たちはひとりぽっちだけれど、それでも、いつか誰かと想いをわかり合うために、解像度を上げて生きてゆきたい。だから学び続けるのです。