山に登るようになったキッカケは、小さな頃から父母に連れられて登っていたから。けれど、おなじ境遇で育った姉は山のひとではないので、歳を重ねてゆくどこかのタイミングで、じぶんで山のある人生を選んだのです。

若菜晃子さんのエッセイは、今まで読んだどんな山の紀行文よりも、わたしのこころにフィットする気がします。それはきっと、山についてではなく、山のある人生について、言葉を紡いでいるから。

そう、山のひとにとっては、たとえどんなところにいても、山はあるのです。カフェのコーヒーカップのふちにも、夜中にくるまる布団のぬくもりにも、徹夜明けの始発電車の光にも。

それでいて、遠くに住む友人のようでもあります。だから、ふとした瞬間に、あぁ、いま山はどうしてるかなぁとか、また訪ねてみようかなぁとか思って、心臓のあたりからキュッと透明な懐かしさが沁みてくるのです。

涸沢から横尾へくだる途中、雪渓にて。

【街と山のあいだ/若菜晃子】