2018年は本が読めない1年でした。忙しくて時間がなかったわけではなくて、ページをめくっても言葉が頭に入ってこず、読み切れたものはたった数冊でした。

そんな日々の中、何度も読み返してずっと鞄に忍ばせていたのが、このエッセイ。年が明けぬうちに、このお守り“について書いておきます。


このエッセイは親密でナイーブで、これ以上はもう編むことができない、ギリギリで本というカタチをしている日記です。

文章は夢のように細切れで、料理のことはあまり出てきません。高山さんのあやふやな記憶とか、フィッシュマンズとか、どうしてこんなにも手からこぼれ落ちやすいものを書き留めていられたのかわからないようなこととか、怪我や痛みやたくさんの死が出てきます。

そして、それらを少しずつ章立てした中に、そっけなく添えられた料理の名前と、巻末たった数ページだけの丁寧でないレシピ。

その頃、大切な友人を亡くしてからしばらく時が過ぎ、ごうごうと唸る悲しみの渦からは抜け出したけれども、どうにも夜を引きずっていたわたしには、この”そっけなく添えられた料理の名前”が、光って見えたのです。

生きることに誠実であるからこそ、盛大に心を揺さぶられ、そして育まれる行き場のない気持ちから手を離さず、見過ごさない。そんな日々から、ぷくぷくとあぶくのようにうまれるごはん。

わたしは料理家ではないけれど、ほぼ毎日ごはんを作っています。わたしも”生きることに誠実であった証”として、その日の献立を記録しようと思い立ちました。

一番気楽に使っているSNS・Twitterに、ただ献立を書き連ねるだけ。写真なし、外食なし、作った料理だけ。わたしは12食だし、コーツトカフェでごはんをいただくことも多いので、たいした量ではありません。

それでも続けているうちに、ふと「友人は死んでしまったけれど、わたしは生きているんだなぁ」と、もうどうしようもないほどに気づかされてしまったのです。

冷蔵庫を覗きながら、スーパーを歩きながら、昨日と明日の私を想いながら、食べたいものを考えて作って食べる。その一連のつながりが、わたしはやっぱり愛おしくて、悲しいけれど、まだ生きているし、生き続けていく、と。

ゆっくり夜が明けていきました。

ここまでの文章は、読書録というカタチをした、わたしから誰かへの贈り物です。どこかの夜を引きずっている誰かへ、高山さんのエッセイとわたしの経験が届きますように、と願いを込めて。

「あなたも」とは言いません。でも、「わたしは」こうやって、大丈夫になりました。

【帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。/高山なおみ】


以上が今年最後のBLOGです。至らない文章を読んでいただいき、ありがとうございました。

2019年が、みなさまにとってあたたかな日々でありますように。