先日、美術展の感想や情報をやりとりしている年上の友人が、「僕は発表されて50年以上経った本しか読まない!」と断言していました。最初は、なんて頑固な…と驚いたのだけれど、『ノルウェイの森』の永沢さんのように

「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い」
───『ノルウェイの森』村上春樹

という考えにも頷けるような気もしてきて、それならばと、「併読している3.4冊の内、1冊は50年以上前の作品にする」いう自分のルールを作ってみました。こちらはその第1作目。ちなみに、先述の友人は村上春樹作品は読んでいないそうです。


ガルシンの短編集を選んだ理由はのひとつは、『四日間』の中に「ぐるり」という言葉が使われていることを知ったから。

ぐるりのものが一時にすっと消えちまった。鬨の声も銃声も、ばったりやんでしまったんだ。しいんと静まり返ったその中で、ただ何やら青いものが眼にうつった。てっきりあれは蒼穹だったんだろう。やがてそれも消えちまった。
───『四日間』フセーヴォロド・ガルシン/神西清 訳

このひとまとまりの文章に何故だかぐっと惹かれて、この真っ白な中に青が一雫落ち、そして消えていったような状況がどんなメッセージを持つのか、長く気になっていたのです。

そしてふたつめの理由は、『カラマーゾフの兄弟』を早々に挫折し苦手意識を持っていたロシア文学を好きになりたかったから。短編集というのも選びやすかったポイントでした。

さて、ここからは読みたてホヤホヤの感想を。

どの作品も、主人公は痛いほど透明な人ばかり。”ほんとう”を求め、どんどんと透きとおってゆき、終いには消えて無くなってしまうほどの。彼らから溢れ出る自己犠牲の表現に潜む、ただただひたむきに生きたいという願いは、見逃してはいけない、笑ってはいけない思わされました。

ほんとうに生きることが孕む、狂気さ───。

太宰治はガルシンに傾倒していたそうです。わたしは彼の文学に救いを求めるほどの絶望は未だ知りませんし、知りたくもないと思ってしますのですが、生きとし生けるものの命に美しい光をあてようとしたガルシンのはたらきには、勇気づけられます。

ガルシンは33歳で命を絶ちました。けれど、彼が文学に染み込ませた魂は、100年以上経った今でもわたしたちの中で生きつ続けているのです。

レーピンによるガルシンの肖像

【あかい花 他四篇/フセーヴォロド・ガルシン/神西清 訳】