久しぶりに言葉にしたい本に出会いました。

出版元・慶應義塾大学出版会の特設サイトに訳者の特別寄稿が載せられていて、こちらも読み応えたっぷりで、よき導入にもなりそうです。

▶︎慶應義塾大学出版会『世界と僕のあいだに』特設サイト

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー。2017年に邦訳が出版され、日本でも話題になったようですが、わたしがコーツと著作を知ったのは、先日見た『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』で、彼のトークイベントシーンがあったから。

イベント(ニューヨーク公共図書館主催)の中で、彼が何を説いていたのかは、おぼろげにしか記憶できなかったのですが、なぜだか無性に気になり、そして『Between the World and Me』という美しいタイトルに魅了され、いそいそと図書館で借りてきたのでした。


わたしの本との出会いはここまでにして、本編へ。

タナハシ・コーツと聞いて、「棚橋・コーツさん…日系の方かな?」と思う人もいるかもしれませんが、タナハシの表記は Ta-Nehisi。アフリカをルーツに持つアメリカ黒人です。そして、彼のその出自こそが、この本の核となっています。

アメリカは、いわゆる「黒人」を資源として搾取することで成り立っている…金銭だけではなく、尊厳、教育、生きる力、そして身体さえも。それはまごうことなき事実として、歴史上のことではなく、今現在もここにある。コーツは、そのたどり着いた現実認識を、彼の14才の息子・サモリへ宛てた長い手紙というかたちで届けます。

この現代アメリカ社会の途方もない闇について考え始めると、心身ともにぐったりと疲れ、無力感に苛まれます。そして、アメリカ人ではなく、ましては黒人でもないわたしが考えてもしようのないことと、頭から追いやってきました。今までは。

今、この本に出会えて、読めてよかったのは確か。

でも、理解はできていないと思います。それでも、理解したいという願いは無視できずにあって、それこそが、わたしが描く希望のあらわれなのです。


アメリカ黒人と日本人、いや、コーツとわたしでは、置かれている状況がまったく違う。わたしは、ストリートで息詰まる幼年期を過ごしたわけでもないし、肌の色で嫌な思いをしたこともない。

…ほんとうに?

現実認識をもつこと。ないことにされた構造に気づくこと。

丁寧に記憶を紐といてゆけば、わたしという身体が資源として搾取された瞬間は、たしかに、ある。目的もよくわからずただ本能的に、笑って、目を閉じて、思考を停止して、気づかなかったふりをして、なかったことにした、たくさんの瞬間が。

「今の自分を愛する」「平和」という美しいスローガンの陰で、蓋をしてきた感情が溢れ出てくる。


暴力の物語は果てしなく続いています。

けれど、わたしたちには培ってきた知性があります。そう、ちょうどコーツの本のような。この道具を使って、どうにかして、人はこの果てしない暴力の連鎖を断たなければいけない。そして、それは可能だと信じたい。

そもそも人は、暴力性を内面に持って生まれてくるもの。もちろん、わたし自身も含めて。だからこそ、外の世界の暴力から目を背けてはいけないと唱え、半径5メートルの世界から行動にうつしてゆきたいのです。

こちらは、由佐美加子さんの TEDxHimi でのスピーチ。本とは直接の関係はないのですが、わたしの中ではつながっている話。

世界と僕のあいだに/タナハシ・コーツ/池田年穂 訳