金曜日の夕方、東京都美術館へ「ハマスホイとデンマーク絵画」展を見に行ってきた。

▶︎「ハマスホイとデンマークの絵画」展 特設WEBサイト

いちばん落ち着いた環境で鑑賞できるのは「金曜日の夜間開館」と気づいてからは、できるだけこの時間帯に行くようにしている。今回も、まだ会期が始まったばかりということもあり、自分のペースでじっくりと鑑賞することができた。しかも1/3ほどはイヤホンガイド利用者で、わたしを含めてメモを取っている人も多々。本気でハマスホイに向き合おうとしている人の群れの中にいられることが、鑑賞の前提として心地よかった。

このblogは宛先のない日記のような投稿ばかりだけれど、今日はひとりでも多くのひとにハマスホイ展へ足を運ぼうと感じてもらえる内容にしたい。そう思って、様々なブロガーさんがどのように展覧会というものを紹介しているのかを探ってみたのだけど、「青い日記帳」のtakさんのように簡潔にわかりやすくまとめることも難しいし、鑑賞対話ファシリテーターの舟之川聖子さんのように魅力的な曼荼羅を描くことも難しい。

▶︎ takさんのblog「青い日記帳」
▶︎ 舟之川聖子さんのblog「ひととび〜人と美の表現活動研究室」

結局、わたしの記憶をだらだらと書き連ねる結果となってしまったが、おつきあいしてもらえると嬉しい。

先のblogでも書いたように、ハマスホイとの出会いは一昨年、同年代のデンマークの画家カール・ホルスーウに惚れ込んだのがきっかけ。正確にはその前に、国立西洋美術館の常設展でハマスホイの「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」を何度も見ているのだけど、作品と作者が一致していなかった。

ホルスーウを調べてゆくうちに、ハマスホイについても知ることになってゆき、どんどんと好きになってゆくのだけど、頑なに「ハマスホイよりもホルスーウが好き」と公言していた。2人とも好きなのに、なぜ順序にこだわるのだろう…と自分で自分が不思議だった。

ハマスホイ展で彼らの作品を一緒に見てその理由がわかった。

それは、わたしが「生活者としての住居」を仕事にしているから。
そして、「建築のための建築」に嫌悪感があったから。

突然建築の話が出てきて「???」となったかもしれない。もう少し順を追って説明したいと思う。

ホルスーウとハマスホイは深い協力関係にあり、ともに人気のない室内画を多く描いた。本展の音声ガイドの言葉を借りるならば、彼らが捉えようとしたのは「人々の会話や音楽が聞こえてきそうな日常の物語でありません。そこに描かれたのは、詩情あふれる室内空間そのものの美しさ」なのだ。

とはいえ、作品の趣はまったく違う。同じ無人の室内を描いていても、ホルスーウの作品にはかすかに残る「暮らしの気配」が、ハマスホイのそれからは徹底的に取り去られているからだ。

その生活感が排除された美しさを、わたしは認めたくはなかった。

なぜなら、長年住宅設計に携わってきて、雑誌をにぎやかす、上っ面だけの美しさを追求した生活の成立しない建築や建築業界にアピールするために理論武装した建築 ─── 建築のための建築 ─── につくづく嫌気がさし、そんな思考回路とは決別をし、わたしは人の生活のための設計を邁進しようと心に決めたから。

わたしが美しいと思う風景には、人の営みがみちみちていなければならなかった。

でも、もう、ぐうの音もでない。人生で初めて絵の前で鳥肌が立ち足が震えるという経験をするほどに、ハマスホイが好きだ。

どうしてこんなにも好きかというと…わたしが信じる美しさがハマスホイの絵の中にすべてある…からかもしれないと、今は思っている。時間の層、粒の細かい光、ハーモニー、やさしい客観、ブルーグレー、、、すべてがそこにある。

わたしの生活の美しさを信頼する姿勢に決して変わりはないけれど、より深い根っこには空間そのものの美しさへの絶対的な信仰がある。たとえその空間が生活から断絶していようとも。住宅設計者としてひた隠して封印してきたこの気持ちを、今、認めざるを得ない。むしろ認めることができて、清々しいくらいだ。そして、またここから始まるのだ。

ここでハマスホイ自身の言葉を引用しておく。

私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません。

「ヒュゲ(hygge:くつろいだ、心地よい雰囲気)」という言葉がある。デンマーク人が大切にしている時間の過ごし方や心の持ち方を表す価値観だそうで、数年前に日本へ輸入された。実際、デンマーク絵画には何気ない日常のささやかな幸福をテーマに据えたものも多く、北欧が好きなひとにとってはそういった点も見所のひとつだろう。

しかし、ハマスホイに関しては、簡単にヒュゲとは言い表せない親密さがある。それはきっと、この展示で揃ったデンマーク絵画と順に鑑賞することで、否応無しに感じるのではないかと思う。

これこそ、キュレーションの力。関係者のみなさまに、心の底からの感謝を。

ハマスホイ展には、はじめて予習をみっちりとしてから行った。関連書籍を読み込んだり、ネットで情報を調べたりするなど。出品目録が発表されてからは、印刷して下調べをし、注力したい作品のピックアップと鑑賞のイメトレまでした。

おかげで存分に楽しめたし、いくら予習をしても「実物」から感じるエネルギーが損なわれるということはない。それが本物の本物たる所以なのだと思う。だからこそひとは美術館へ足を運ぶのだ。

ところで、ハマスホイ展は3月26日までは東京都美術館でやっているが、その後は山口県立美術館に移動する。どうして山口?大阪や京都ではなくて?と疑問に思っていたが、図録に「企画構成 萬屋健司(山口県立美術館 学芸員)」とあって納得した。萬屋(よろずや)さんは、日本におけるデンマーク絵画・ハマスホイ研究の第一人者だそう。そうならば、ぜひ山口県立美術館でもハマスホイが見たい。

また、2008年に国立西洋美術館で開催された「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展を企画構成された佐藤直樹さんの著作「ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画」が発売されたそう。さっそく本屋さんへ行かなければ。

出会って、学んで、本物に触れて、感じて、また学んで、また本物に触れて。

何度も何度も繰り返す。
出会いなおす。

東京で暮らしていると、日常的に展覧会が催されているので慣れてしまい、気軽に鑑賞してしまうことが多い。それはそれでいいのだけど、今回ハマスホイとホルスーウに、あたらしい美術鑑賞の仕方を教えてもらった。毎度は難しいかもしれないが、予習をしたり二度三度と足を運んだり、という展覧会との付き合い方もこれからはしてゆきたい。