先日、はじめて電子書籍を購入した。

少し前から気になっていた『違国日記』を最新巻である9巻までごっそりと(…といっても、電子書籍なのでごっそり感は全くない)。少しずつウイスキーを舐めるように読む予定が、振り返ればたった3日ほどで一気に読みきってしまった。

ヤマシタトモコ『違国日記』特設サイト

わたしはずっと電子書籍を毛嫌いしてきた。

理由その1「電子書籍は友達に貸せない」
理由その2「本屋さんが間にいない」
理由その3「なんだか嫌」

けれど、仕事用にiPadを購入したことがきっかけで、理由その3「なんだか嫌」が解消されたのだ。

iPadは「かさばる図面を簡単に持ち歩くため」「膨大で毎年のように更新される建築材料や機器のカタログを紙で所有することをやめるため」「できればデュアルディスプレイ代わりにも」という目的を持って購入したのだけれど、使い始めて2ヶ月経った今、最もしっくりきているのは「Apple Pencilを使ってアイディアを練る/整理する」ための使用。こんなにも直感的な操作が可能で、人間に優しい道具だとは、友達に借りたり店頭で試してみるだけではわからなかった。

そして、スケッチブックをめくるようにスケッチアプリをスワイプしていて(もちろん紙と同じではないということは重々承知)、ふと「iPadなら漫画が読めるな」と(やっと)気づいたのだ。

「なんだか嫌」の内訳は、モバイルデバイスへの不信感が多くを占めていたので、これが払拭されたことは大きかった。また、もうひとつの大きな内訳には「過去にiPhoneで試し読みした電子書籍(漫画)がとても読みにくく、作品を味わえていないようで悲しかった」という経験があるのだが、これは物理的な画面の大きさで解消されることにも気づいていた。おそらく小さな画面では、漫画の場合は特に、セリフや独白部分だけをさっと拾い読みしてしまうので、絵や構図、セリフのまわりに立ち上る空気は味わえなかったのだろう。表現には受け取るのに適した寸法というものがあるのだ。


ちなみに、理由その1「電子書籍は友達に貸せない」は「友達に貸したいほど気に入った電子書籍ならば、紙でも購入するだろう」と納得したため解消した。じつは、紙の本でも好きな作品は保存用(単行本)と貸出・持ち歩き用(文庫本)を持っているのが、わたしの性格なのだ。

理由その2「本屋さんが間にいない」は解消されていないけれど、「紙の本は今まで以上に購入する本屋さんを選ぶ」ということで、心のなかで決着をつけた。

紙の本が好きな理由もたくさんある。けれど、それらが電子書籍を否定する理由にはならないということも、この一連の内省で気づけたことのひとつ。


最後に、『違国日記』より引用。

わたしにとって自分の
感情はとても大事なもので
それを踏み荒らす
権利は誰にもない
それに 誰も 絶対に
わたしと同じようには
悲しくないのだから
誰にも
分かち合わない